歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが6月23日、東京・渋谷の「Bunkamura シアターコクーン」で会見。海老蔵さんは妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが死去したことを公表し、何度も涙で言葉を詰まらせ、涙を拭いながら、麻央さんとの最後の時間や子供たちの様子などについて明かした。会見の主な内容は以下の通り。
――奥様から学んだ大切なこと、お子さんにどう伝えていきますか。
元気になったら彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、治ったならば、ああしたいこうしたい、多くの人の救いになるようになりたい、ということで闘病していました。それでブログというものも始めたんです。本当にマスコミさんのお陰で公になって、ある意味ありがたかったと思いますよ。それでブログというものを始めて、同じ病で苦しんでいる方と苦しみや喜びを分かち合っている姿を見ると、私からすると、人ではないというか、何というんですかね、すごい人だなと。言い方おかしいですけど。とにかく、総合的に教わったこと、今後も教わり続けることは、愛なんだと思いますね。
――今、思い浮かぶ麻央さんの姿は?
表情? 全部ですね。初めて会ったときの彼女から、今の今日の朝まで全部、全部。
(笑顔が)多かったと思います。
――子供たちのことは?
心残りだと思います。2人のことについては。どうすればいいんだろうと、考えても答えが出なかったものだと思います。ですから、いろんなこともあり、今回も子供たちが出演したり、7月もせがれが(舞台に)出るんですけど、そういうのを見に来ることを一つの目標として、いろんなものを作ったんですけど、まあでも、きっと見てると思うんでね。心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。
――海老蔵さんが麻央さんから託されたことはあるか?
ちょっと多すぎて言葉に出せないですよね。もちろん、これまでも舞台をやってきたわけで、このあとも舞台ありますし、来月もすぐありますし、麗禾の成長のことも考えますし、これから5歳とまだ4歳ですから、これからお母さんという存在が彼や彼女に重要な存在なわけではないですか。それを、失った。それは僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていくようにと思っていますね。
――麻央さんがよく言っていたことで思い出されることはありますか。
言葉というか、お姉さん、麻耶さんが調子悪くなったときも、私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、麻央の方がもちろん大変なのに、自分よりも相手のことを思いやる優しさ。言葉とかではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思いやる気持ち。これは一番大きかったですね。
――麻央さんはどんな奥さんだった?
分かりませんね。僕を変えた奥さんなんじゃないですかね。どんなところ? 分かりません。
――麻央さんがプロポーズのときに「来世も再来世も一緒にいよう」という言葉が響いたと言っていたが?
(今も)そのつもりです。その話もしました。ですが、まあ、僕が愛想尽かされないように頑張んないといけないのかなと。
まだ昨日の今日なので、こういうところも聞いていると思うので、全部聞いていると思うので、言うことは言わなくても伝わると思うので、まあ、いつも思っているよね、ということですね。
――麻央さんのブログや麻央さんの存在で励まされている方へ向けて。
麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回のこういうような形もとらせていただいたと思う。そういうことがなければ、このようなことをご報告すること自体が、形としてはどうかと思います。ですが、そういうい多くの麻央のことを応援してくださった方、そして、また麻央とともに戦っている方々、本当に昨日、先に旅立ちましたけれども、ずっと、麻央はきっと皆様のそばにいると思いますので。
本当にいろいろありがとうございました。